2015年08月06日

2000年代の「戦争と漫画」、その一部

2000年代にも第二次世界大戦の漫画はいろいろ出ている。
全部読めてるわけじゃないから、私が読んだ一部の漫画しか紹介できないけど、
少しずつ思うところと漫画の紹介を書こうと思う。

昭和の時代には戦争を描いた漫画はたくさんあった。
悲惨な状況を体験した作者自らが描いているものも多く、戦争がどうやって人を殺したかを伝えていた。
私も子どもの頃からそういう漫画、絵本、小説、映画……たくさん観てきた。
戦争は怖い。私たちのこの世界と違う。違う世界の違う場所でこんなことが今でも起こっていて、私たちの日常もある日突然戦争に変わるかもしれない。
という恐怖を持ったまま大人になった気がする。

大人になってから初めて出会った戦争関連の漫画はこれだ。
夕凪の街 桜の国 (双葉文庫)
夕凪の街 桜の国 (双葉文庫)

2003年の作品。
オビに「賞をとった漫画」と書いてあったし、私は漫画好きで漫画を描いたりもしているので、そんないい漫画なら読んでおかなくちゃ。と思って購入した。

いままで読んでいた戦争、広島、原爆……を扱った漫画とはだいぶ違っていた。
そもそも舞台が戦後、昭和三十年である。
特にショックだったのは33ページ(文庫は持ってなくて、ページ数が違うかも)の、何も絵がないページ(皆実さんの主観だということがあらわされている)に描かれた台詞。

「嬉しい?」「十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て 「やった!またひとり殺せた」 とちゃんと思うてくれとる?」

いままでアメリカ(国)が日本(国)に原爆を落としたんだと、どこかで思っていたのだけれど、
この「夕凪の街 桜の国」の皆実さんの台詞には、ひとが、ひとに。だれかが、わたしに。 どうしてだれが、なんでわたしが? という想いが、憎いとか悲しいとかそういう次元と別のところに存在しているんだなあと……私は初めて思い至ったわけで……
主人公の皆実さんはたくさんの身内を「あの日」失ったけど、戦争や爆弾を憎む様子を見せるでもなく、身内を思って悲しむ姿を見せるわけでもなく、十年間戸惑って、理不尽に死んだ人と、偶然に生きている自分との違いもわからないまま暮らしていたんだと。

後半の「桜の国」のほうではほとんど原爆も広島も影をひそめ、薄まって、当事者にすらなにが因果や影響を残しているのかもう判断もつかないのに、いまだぼんやりと……時々見える影をそばに置いたまま暮らしていく不思議さとちょっとした戸惑いと、
あとは間違いなくあの日からも同じ世界が続いているということ。

「夕凪の街」と「桜の国」は、後半のほうで同じ場所を旭さんが尋ねたり、過去の風景が重なるようだったりする直接的な描写もあるけれど、同じコマ運びだったり、なぞるような描写に、時を越えたリンクを感じられる仕掛けもあって、漫画としてもテクニックがすごいんですよ……

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あとかたの街(1)
あとかたの街(1)

2015年現在も連載中。4巻まで出ている。(私は今日の時点でまだ3巻までしか読んでいない)
この次に紹介する「凍りの掌」が先にあって、そちらはシベリア抑留を体験された、作者:おざわゆきさんのお父さんのことを描いた本。
続いて、こちら「あとかたの街」は、名古屋の空襲を体験されたお母さんの話をベースに描かれている。

いままでいろんな「戦争の本」を見てきたけど、シベリア抑留・名古屋空襲まではしらなかった。
シベリア抑留も「なんかシベリアに行って仕事してた人たちがいたらしい」ともんやりイメージしただけで、ソコの気候や待遇、それどころか具体的に「人が」そこにいたことすらあやふやだった……

「あとかたの街」では、お母様の少女時代、戦時中の抑圧された生活の中でもささやかな楽しみを胸に、つらい中も工夫して生活を続けている様子が描かれている。

戦時中の暮らしや「ソコにいた人」は感じられるけど、どこか「私とは違う」人のように読んでしまってる気がする。この感じ方の違いは不思議だ。

4巻も近々購入予定。また感想が変わってくるかもしれない。

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新装版 凍りの掌 シベリア抑留記 (KCデラックス BE LOVE)
新装版 凍りの掌 シベリア抑留記 (KCデラックス BE LOVE)

「あとかたの街」と同じく、おざわゆきさんの漫画。

私は最初、この「凍りの掌」を同人誌で読んだ。続巻が出るたび購入して、その後小池書院から出た商業版も購入した。上記リンクは先月発売されたばかりの、講談社から出ている新装版だけど、さすがに三種類買うのはためらわれて、私は同人誌版と小池書院版だけを持っている。

これも最初に読んだとき衝撃を受けた。
私にとっておざわゆきさんは築地グルメ漫画の人でおなじみで、私も参加している同人誌即売会コミティアで見かける、カワイイ絵のレポートとおいしそうなご飯の絵が印象的な作家さんだったから、
まさかその人のお父さんがシベリア抑留でこんな壮絶な体験をしてきているとは。

また、お父さんが語り部に合うというか、本人がどんどん前に出るタイプでなく、強い思いや気持ちをもちろん心に秘めつつも、冷静に「その場にいた」事実を語っている様子が、読者に「伝えるちから」を大きくしているんだと思う。
あのときどこにでもいた普通の青年が、戦争に巻き込まれていく描写は、読者と同じ目線でその場を伝えていく。作者のおざわさんのちからだとおもう。
つらい中でも、たべものをたべたり、ソビエトの人と交流したり、花が咲いたりっていう救いが出てくるのもいい。

「あとかたの街」「凍りの掌」両方に共通して思うのは、
この体験をした方々が今も生きて暮らしているということ。
戦後70年? なにも遠い話じゃない。 私たちだって70年後に、もしかしたら何かを語っているかもしれないじゃないか。
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フイチン再見! 1 (ビッグコミックス)
フイチン再見! 1 (ビッグコミックス)

こちらも2015年現在連載中。
女流漫画家・上田トシコさんは、2008年に90歳で亡くなった。第二次世界大戦の戦時中を駆け抜けた人だ。

この漫画も私にとってはあたらしい目線をくれる漫画。
トシコがお嬢様なのである。
いままで戦時中の話といえば、物資がない〜情報はない〜抑圧されててぜいたくは敵〜隣組〜みたいなイメージ一辺倒だったけど、トシコはお金持ちの家庭に生まれて、なに不自由ない上品な暮らしを送っていたわけです。
開戦の一報を銀座のパーラーでランチにホットケーキをほおばりながら聞いたり、
おニューの真っ赤なコートをきこんで顰蹙を買ったり、パーマを禁止されたり、終戦のやけくそでケーキを食べようとしたりする。そもそも、戦争中に一番生活に関係ない「芸術」に一所懸命な若者たち。
いままでの「戦時中の暮らし」とイメージが違う……!

でもこの感じは親近感がより強くて、「あれ? 戦時中でもおいしいもの食べるのが楽しみって人もいたり、おしゃれをつらぬこうとしたり、お金に困ってなかったりするんだな?」って思うと、いろんな人がいる中に私もいるという感じになれる。

あとは当時のハルピンのひとたちね。トシコ一家がいろんな人に好かれて、また、一家が好きだった外国の人たちや町並みや文化が確かにあって、戦争はあったけど支えあえる友人もいたということ。

それぞれの巻の感想も書いてます。
フイチン再見!(村上もとか)1巻〜5巻: 漫画の感想ブログ ホンヨンダ
http://honyonda.seesaa.net/article/413881232.html

私は上田トシコさんの「フイチンさん」も読んでいて、あちらはハルピンのおぼっちゃんが、金持ちを鼻にかけた性格だったのに使用人の娘「フイチン」と出会ってからどんどんいい子になっていく話なんですよ。トシコさんのハルピンへの思いや、楽しかった記憶がふんだんに詰め込まれている感じ。

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この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)
この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)
この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)

2007年〜2009年連載作品。前出の「夕凪の街 桜の国」とおなじく、こうの史代さんの漫画。

お恥ずかしい話、私は「この世界の片隅に」を読むまで、戦時中に人間が生きて暮らしてたことを知らなかったんですよ。さすがにそれは言い過ぎかもしれないけど、それぐらい曇った目で「戦時中」を見ていた。
戦争の間につらい思いをした人たちって言う、私には関係のない、住む世界が違う、別人がいたと思っていたんじゃないか。


主人公の「すず」さんたちは、普通に平凡に毎日暮らしていて、働いたり、さぼったり、仲良くしたりけんかしたり。強くて、弱くて、叫ばず、主張しすぎず、絵が好きで、フロをわかしてご飯を準備して節約して工夫してその分楽しんで……
今現在の私たちとなにも変わらない、ひとりの人間とその隣にあった戦争とっていう話で……
戦争が終わった後も生活は続いていく。

私だって、この2015年を普通にいろいろしながら生きているけど、未来に振り返ってみれば
「あのときはもう、戦争が始まってたね」
といわれるのかもしれないと思うと、すずさんがあんなに普通の女の子だってことが怖くなってくる。
普通の人が生きていたということは、普通の私もそこに居るかもしれないからだ。

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「この世界の片隅に」はそんなわけで私にとって特別な漫画。
「すずさんかわいい、萌え〜」で十分なので読んだことない人はぜひ読んでみてください。
漫画の表現としてもいろんな仕掛けや挑戦がふんだんにあって、何度読んでも楽しい。

私はこないだ、「全部読んだ人には、最初の方で出てくるバケモノの正体がわかる――」という話を聞いて、
「え!!! (「冬の記憶」というエピソードの)バケモノの正体とか、考えたことなかった! もちろんわかってない!!」ということで読み返したんですよ。
うわ〜見逃してた。気づかなかった。はっきり明言してるわけでもないし、そもそも「冬の記憶」自体がファンタジーな存在で、「あれはなんだったんだろうなあ」という子どものころの夢のような雰囲気がいいところなんだけど、そういう解釈もほんわかしていいですね。
「すずさんなりの解釈による創作」だったとしても、それはそれでいろいろ深い。改めてキュンとしてしまった。

【この世界の片隅に アニメ映画を応援しています】

2016年秋公開予定とのこと。
特報映像が好評なので見てみてください。
漫画は知ってて、映画化を知らなかった人は今日から公開を心待ちにしつつ一緒に応援してください。
漫画も知らない人はぜひ読んでみてください。



映画「この世界の片隅に」公式サイト
http://www.konosekai.jp/


映画をきっかけに、現在出てる文庫版だけじゃなくて
前の「上中下」3巻も復刊したらいいのに。全部読んでから3巻の表紙を改めてみたときの
ゾクッとする感じ、すごく良かったから。

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戦争のことを考えたとき、とくに近頃思うのは、たくさんの人が自分と同じようにこの世界で生きているということ。
少なくとも私は、相手の名前を呼びながら殺すことは出来そうにない。
ならばみんなが少しずつ、知らない人を知っていけばいいんじゃないか。

紛争が起こってるその場所でも、誰かが楽しいことをしたり、明日の準備をしたり、行事をこなしたりしていると知れば、恨みでもない限り死んで欲しいとは思えない。

第二次世界大戦のとき、アメリカの兵士は、日本人が怖くて同じ人間だと思えなかった……という話を読んだ。言葉も通じないし、肌の色もちがうし、なんと自爆する。理解できない。殺さないとこっちがやられると思った……という話で、確かに、自分と違う生き物を殺すのであればためらいも少なくなるだろうと思った。
戦争はそうやって「あのかたまりは自分とは違う」と人を誘導するところから始まるんじゃないか。


私は知らない土地のニュースを見ると、その地域の気候や人口密度、ストリートビューや航空写真を積極的に見るようにしている。
異国の商店街や看板、バイクにのった人、黒いごみ袋、手入れされた庭、飼われてる動物……などなど見ていると同じ世界でそれぞれの「暮らし」があることを実感できる。そして普段異国の住人を、国の名前だけで認識していることがよくわかる。

今後、もし私たちに敵が出来るとしたら、戦わせたい人たちは相手ひとりひとりの暮らしを伝えず、名前を奪って、別の名前でひとからげにしてくるだろう。
私が人を殺さない方法はひとりひとりの顔と名前を思い浮かべることで、死なないためには、それまでに出来るだけ多くの人に「私はこの世界の片隅に生きている」と伝えることなんじゃないだろうか。
posted by 藤村阿智 at 14:55| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする