婚活、子育て、親子関係その他いろんなエッセイマンガを読んでいますが、
こちらも好きなジャンル「片付け」。
私の興味はいつも、「誰かが当たり前にできることは全員ができることとは限らないと言うことに気づく」ということ。
私はいろいろできない子どもで、いまでもできない大人なんだけど、このズレはどこから来ているのか。
他の「できる人」はなぜ、できないことを「信じられない」と言って責めてくるのか。
いろんな視点から、できる、できない、あるある、ありえない、という意見を見たいわけです。
「家族が片づけられない」は、主人公=作者さんは「片づけができる人」。
いままで気づかなかったけど、家族は「片づけができない人たち」だった。いや、昔はできていたはずなのに?
主人公は仕事が忙しかったりして体調と心のバランスをくずし、療養のため一人暮らしから実家に帰ることに決めたけど、帰ってみたら実家がごみ屋敷になっていた……こんな場所じゃ休めない、と片付ける!家族は協力してくれないどころかどんどん散らかす!
家族と戦いながら家を掃除してきれいにしていく主人公!
前半は、何故こうなったかと言う分析や、家族へのグチ、具体的な掃除方法などまさに「お掃除エッセイ」という感じで綴られていく。どういう汚れがなにで落とせるのか、どのへんに汚れがたまりやすいのかなど、掃除のノウハウ的な情報を求めてる人にもありがたいネタが書かれてて読み応えがある。
でも、私が「このエッセイいいなあ」とより思ったのは後半から。
家が片付かない、ちらかしてしまうのはただのズボラや性格の問題だけではない。
この家族が住んでいる家は病んでしまっているのではないか。
そして、主人公が本当にくつろげる部屋。「理想の部屋」とはなんだろう。
部屋とは、私(住む人)の心の中そのものなのでは? という発見。
掃除はできても、居心地のいい部屋を作れない自分に気づく。
ちらかっていても、モノが多くても、居心地のいい部屋は作れるということ。
表面だけの、「部屋を片付けると気持ちが良い」「掃除をしないと汚い」ということではない、もう一歩進んだ「自分が住みたい、居心地がいい部屋」とは何かを考えるきっかけになるんじゃないか。
この本の終わりは、「家族にも片付けてもらえるようにする」という着地じゃなくて、自分が部屋と家族とどういう風にかかわって行くのか、答えを見つけたいという希望だと思う。
ラベル:エッセイマンガ