2017年08月28日

御嶽山噴火 生還者の証言(小川さゆり)

御嶽山噴火 生還者の証言 あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み (ヤマケイ新書)



読了。
2014年9月27日の御嶽山噴火の日、登山をしていた登山ガイドの方が書いた本。
いろいろな葛藤の中、2年たって体験を残したい、噴火を風化させたくないという思いで書かれている。

その日自分がみたもの、体験したこと、その後のことが書かれていて、
今までにも記事やSNSで実際にその場にいた人の話は読んでいるけど、また一つ体験談を読めて噴火の怖さが身近になってくる。著者の小川さんだけでなく、その日に他の箇所にいた登山者の体験も掲載されているので、決して一人だけがみたあの日のあの山というわけではないところがいい。

上のリンク先、amazonレビューでは「わたしもあの日いた。★5つ」の人と「わたしもあの日いた。★1つ」と同じ場所にいた人の中でもきっぱり分かれている。
著者は山岳ガイド(御嶽にはガイドでなくプライベートで、下見のため登っていた)として、今後活火山で登山中に噴火した場合、どうすれば少しでも対処できるのか、これから噴火による死傷者が出ないようにするにはどうすると良いかを考えて書いている。
★1つの方は、「あれは運でしかない、生きる技術なんてない。共感できない」というご意見。
私も、読んでいて「かなりの割合で運に左右されそうだ」と思った。
でも「かなりの割合」であって、ごくごく少しだけど、運だけじゃない、自分で対処できる技術と言うか考え方があるような気もする。
(著者はそのことを書くにあたって、他の登山者の気持ちを考え慎重な表現を心がけていると読み取れる。)

「あの場所にいて、運よく噴石や風向き・近くの地形や小屋などの条件がいいほうにそろった時」
それを活用できるか?気づいて行動できるか?というのは、知っている・心構えがある状態だとだいぶ変わってくるんじゃないか。
噴火して、噴石が降ってくるからまず身を隠す・頭を守るということを知っているのと知っていないのだと行動が変わると思う。
小屋の位置や大きな岩を確認して、もし噴火したらあそこに隠れることができるな。と常に考えるのも行動に影響するだろうし。
雷や吹雪でも、「あそこに避難小屋がある」と言うのを知っていたら逃げ込んだりできる……と言うのを、噴火と言うどうにもならない災害にあった時にも少しは応用できるんじゃないか。

噴火当日、なんとか逃げて下山して、マスコミへの対応をした結果、伝わり方がまずくて非難された話なども、もしそういう災害に会った時に体験を話すならどうしたほうがいいのか考えさせられる。
「真意から歪んで伝わる」という体験があったせいか、この本の中盤は同じことが違う表現で繰り返されて、ちょっと読みづらく感じる。
ご本人が監修しつつ、ほかの人が聞き書きでまとめたほうが読みやすくなったかもしれない。
「ここを飛ばせば〜」と書こうと思ったけど、飛ばしちゃうのもなあ……三章がもう少しすっきりしてたら。大事なことなんですけど、読んでてぐるぐるしてしまう。


著者は、もう活火山には登りたくない。と書いている。
人気のある富士山だって活火山で、いつ噴火が起きてもおかしくない。
御嶽山の噴火はたくさんの人がなくなったけど、噴火としては小規模なものらしい。
人気のある山、とてもいい季節、いい天気、一番人が多い時間帯……という条件が重なりすぎて大災害になったとは言え、ほかの活火山だってどんな条件の時に噴火するかはわからないのだからね。
活火山はいつでも噴火しておかしくないと思っていたほうがいいですね。


※私は電子版で購入したけど、紙本のほうが、巻頭の図や写真を見ながら本文を読めていいんじゃないか。
電子でもできないことないけど、あとで気づいてもちょっと面倒だから……
ラベル:登山 遭難
posted by 藤村阿智 at 11:25| 小説・エッセイなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする