一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
ジョージ・オーウェル「1984年」読み終わった。
SFかな〜とおもって購入したのですが、よく考えたらディストピア小説として興味を持って購入したんだった。
そんなにSFではない。(半分まで読んだところ)
1948年に描かれた、1984年の世界なんだから、近未来でSFなのかもしれないけど、ちょっと古いんですよね。
科学の発達した未来じゃなくて、政治的に欲望を押さえつけられた人々の暮らしぶりを描いているので、 先進のものが出てくるはずはないのですが。
そういえば私の好きな「トリフィド時代」も、そんなにSFじゃないんですよね。
じゃあSFってどういうのから言うのか、と考えるとどんどんわからなくなりますが……
結局私は地球上の現在に近い舞台で書かれてるSFが好きで、スペースオペラなどにはなじみがないんだな〜と思いました。
ディストピア小説が好きらしい私。
確かにこの1984年もそういう小説で、面白かった。でも2度は読まないかもしれない……
だいたい、気に入ると最後まで読んだ時点で「よーし最初からもう一度読むか」ってなるんですが、今のところ一回で 見落としがないような気がしているので、「結末を知ったからもう一度最初から読もう」という気持ちになっていない。
でも、読み終わった後で毎回やってる「この小説の読みときを答え合わせする・新しい発見をする」という楽しみを今回も始めて、 そこで「偉い人の服装は背広でなく黒いオーバーオール」ってのを知った……
すっかり背広のつもりで読んでいたのに。ぜんぜんちがうじゃないか。
第一部で世界の息苦しさ、問題点、主人公を取り巻く灰色の空気を紹介して、
第二部でこの世の春と希望をたっぷり主人公に味わわせて、
第三部でどんぞこ……そして最後は思いつく数個の結末のうち一個で合っていた。
第二部がいちばん情熱的で明るいんですが、肉欲的な意味で盛り上がるので、 「そこが楽しいから何度も読みたい」とはならないんですよ。つまりずっときつい世界が繰り広げられている。
キャラクターは秀逸だった。解説とかではディストピア、全体主義の表現が主な焦点になっているのだけど、 キャラクターがそれぞれ見た目・性格ともに生き生きしていた。
自己矛盾(二重思考)という難しい心理状態を表しつつも、それぞれのキャラクターは消えてなくならなかった。
これはすごいことだ。